『私の夫と結婚して』に見るNOの表明(バウンダリー)
こんにちは、かなこです。
以前『バウンダリーは自分の中のイエス・ノー』という記事を書きました。今回の記事では『私の夫と結婚して』に沿って、それをもう少し掘り下げようと思います。
ブログに書いたこと
『バウンダリーは自分の中のイエス・ノー』に以下のように書きました。
「セッションで内面を観る作業をして進化していく中で、人は意識して境界線を引く、つまり、ノーを表明するプロセスに出合うと、私は感じます。今まで「イエス」だったものが、本当はそうではなかったと気づいたり、自分のイエスが変わっていくからです。」と。
つまり目覚めのプロセスにおいては、今まで気づいてなかった自分の「NO」に気づき、それを表明する段階がある、ということです。
それは必ずしも実際に口に出して「NO」と言うことだけではなく、例え口には出さなくても相手との不健全なエネルギーのやりとりをやめる、ということも含みます。
もしくは、NOを言う罪悪感から抜け出る、ということも含みます。また、「NO」とは文字通り相手に「ダメです」と言うことだけでなく、自分の言いにくいことを言う、という場合もあります。
今まで言わなかったNOを表明するとは
それは『私の夫と結婚して』を見ると、より分かりやすいかもしれません。(うちにはテレビがないのでほとんどドラマを観ることがないのですが、なぜかこれはダンナが加入しているアマゾンプライムで観ています。)
ストーリーを簡単にお話しします。
主人公・美紗は結婚して10年の主婦ですが、病気(癌)で入院しています。相当悪いようで、余命幾ばくもない感じです。夫・友也とは職場結婚でした。また、美紗には幼いころからの親友・麗奈がいて、彼女の入院中にも麗奈はお見舞いに訪ねて来て、美紗のことをとても気遣ってくれます。美紗は夫や麗奈のことが心から好きで、入院中も2人のことを想って手紙を書くほどです。
そんな美紗が外泊許可をもらって自宅に一時帰ることになりました。彼女は自分がもう長くないと薄々感じているのですが、帰り道で、自分が掛けている死亡保険金の受け取り人が祖母から友也に変更されていたことを知ります。
そして帰宅すると、なんと、友也が麗奈と浮気をしているところに出くわします。しかも彼は謝るどころか「こうなったのはお前のせいだ」と言います。さらに、保険金の受取人は彼が変更していて、「おばあさんよりも自分がもらった方が然るべきだ」と言います。麗奈も自分の正当性を主張するばかりです。
美紗は動揺して家を飛び出し、保険金の受取人を祖母に戻すため保険会社に電話しようとしたところ、友也と麗奈にマンションの廊下から突き落とされてしまいます。
夫は自分のことなんて好きじゃなかったのだ、長年親友だと思っていた麗奈は、実はそうではなかったのだ、と死ぬ間際に気づきます。
そして意識が戻った時には、そこは10年前の2015年でした。10年前からやり直せることになった美紗は、なんとか未来を変えようと奮闘します。
という感じのストーリーです。1度目の過去は友也と麗奈の言いなりになっていた彼女ですが、2度目の今回は2人に対してNOを言い始めます。彼女は特に麗奈の嘘や罠がよくわかるようになったのです。
これは「NOを言う新しい選択をする」良い例です。つまり、自分をリスペクトしてくれない他者の行動に対してNOを言うことにした、ということです。この時、自分が自分をリスペクトしていなければ、他の人が自分をリスペクトしているかどうか判断できないでしょう。美紗は殺されて初めて、今まで自分が自分をないがしろにして生きてきたことに気づきます。
麗奈はかわいらしく華やかに見える一方で満たされない心を抱えています。麗奈は美紗を心の闇のはけ口にしているのです。
しかしこのような関係性は、麗奈だけの責任ではありません。よく「共依存」という言葉が使われますが、美紗の方も麗奈との関係から得るものがあったのです。そのため、真実を見る目を閉じて、流されていたのです。
人間同士が関係を続けようとした時、どちらか片方だけの気持ちでは続けられません。その人間関係には、必ず無言の契約がお互いの間で結ばれています。そして、その契約は無意識のことが多いです。ですので、いくらしいたげられているように見えたとしても、そういった関係になるということに美紗も同意していたということなのです。
ですが美紗はそんな関係の不健全さに気づき、2度目の人生ではNOを言うことにしました。そしてそれは、自分自身が成長していく選択をしたということでもあり、自分で自分の人生に責任を取るということです。それは強くなるということであり、独立するということでもあり、自分軸になるということです。
今まで言わなかったNOを言い始めるとなぜ孤独になるのか
このドラマに限った話ではありませんが、そういった不健全な関係からどちらか片方が変化を起こして抜け出そうとすると、その関係が保てなくなってしまいます。なぜなら、今までしていたようなエネルギーのやり取りができなくなるからです。
例えば、「私があなたのことを守ってあげる。その代わり、私はあなたをコントロールする」&「私は自分の人生に責任を取るリスクを負わず、あなたに守ってもらう」というエネルギーのやり取りがあった場合、それができなくなるからです。(余談ですが、「私があなたを守ってあげる」と言う側は、わざと仮想敵を作って、自分が相手を守るのをアピールするかもしれませんね。)
『私の夫と結婚して』では、美紗をコントロールできなくなった麗奈は、自分の欲しいものがこの関係から手に入らなくなってしまいました。
これがもしもお互いが同じように成長していくことができれば、つまり麗奈が自分がしていることに気づいてそれを手放そうとするなら、2人の関係は新しい形へと発展して続いていったかもしれません。
ですが多くのケースではそうならずにだんだんと一緒にいることが難しくなっていきます。すると一時的に両者ともその関係を失ってしまった状態になります。その期間に孤独を感じることがあります。
また、自分が新しい選択をし始めると、一人の相手に対してだけではなく、人生全般に影響します。“一事が万事”と言われるように、何か1つが変われば他のことすべてに影響します。他の人間関係においても同じようなエネルギーのやり取りがあったとしたら、それも変化していくでしょう。それは古い自分との決別の時間でもあるのです。
そんな変わり目には新しいエネルギーに慣れる時間が必要なことが多く、一時的に孤独を感じることがあるのです。
ですが、その一時の孤独感は次へのステップのための小休止の時間でもあり、祝福すべきものでもあるのです。
では一方、「NO」を表明された方はどうなるのでしょう?今まで通りのエネルギーのやり取りを続けたいと思っている方は、その関係が終わってしまったらどうなるのでしょう?
それは、多くのケースで、同じようなエネルギーのやり取りをできる相手、つまり共依存できる相手を新しく探して、同じパターンを繰り返します。自分がやっていることに気づいて、それをやめようとするまでそれは続きます。
集団に対してNOを言う場合
「NOの表明」は1対1の関係で起きることもあれば、集団の中で起きることもあります。その集団とは、友人たちであったり、親族であったり、何かのグループだったり。
集団は、時に、独立しようとしたものを思いとどまらせようとすることがあります。それは集団が持つごく自然なエネルギーです。集団とは、多くの人々を一つにまとめる性質を持っていますので、そうなるのはある意味自然です。
そんなエネルギーに出合っても、自分をリスペクトする選択をするのはとても勇気ある行動です。
まとめ、そしてフラワーエッセンスへ着地
- 今まで表明してこなかったNOを表明すると、今までの人間関係でやり取りしていたのとは違う形で他者とエネルギーをやり取りすることになる。
- 相手がそのやり取りに同意しない場合は、その関係は終わってしまうでしょう。
- そういった変化は人生のあちらこちらで起きるでしょう。
- それゆえ、自分のエネルギーが落ち着いて、新しい人間関係ができるまで、孤独を感じることがある。
- ですが、それは悪いことではなく、むしろ祝福です。
『私の夫と結婚して』では、主人公・美紗は2人に突き落とされるまで彼らと健全な関係ではないことに気が付きませんでした。ですがフラワーエッセンスは、摂る人がそれを望むなら、そういったパターンにやさしく気づかせてくれます。そして、そのパターンから抜け出るのを助けてくれます。
つまり、フラワーエッセンスは気づいていなかった自分のNOにやさしく気づかせてくれて、不健全なパターンから抜け出るのを助けてくれるのです。
広島県福山市での対面とZOOMのオンラインでフラワーエッセンス個人セッションをおこなっています。
