祈りのちから
こんにちは、かなこです。
みなさんは祈ったことはありますか?
私はこれまでの人生で何度もあります。自分のために、家族や他の人のために、などなど。
それって、ただの気休めなのでしょうか?
何かを願って祈ったのに願いが叶えられなかった時、祈りは無駄な行為のように感じてしまうかもしれません。
今回の記事ではそんな祈りのちからについて書いてみようと思います。
さとうみつろうさんのYouTube
そもそもなぜ祈りについて書こうと思ったかというと、さとうみつろうさんのYouTubeで崔燎平(さいりょうへい)さんが祈りについて語られていたのを見たからでした。
崔さんは、ご自身の息子さんが奥様のお腹の中にいる時から心音に異常があり、生まれてから何度も手術する必要がありました。
そんな時に崔さんが「どうしたらいいんですか?」と医師に聞いたところ、「祈るしかないんです」と言われました。崔さんは、それまでに自分の師匠から「感謝」とか「祈る」という言葉をさんざん言われてきており、それらの言葉が嫌いになっていたのですが、いざ手術になればやはり祈るしかないので祈ったそうです。
そして、息子さんは何度か手術され、最後の手術をする前に、酸素飽和度が80半ばでした。90前後では「水の中で溺れているのと同じ状態」であり、それよりも低い数値です。このままでは万全ではない状態で手術を受けることになってしまいます。
崔さんがそのことをYouTubeで「どうしたらいいんだ」と言ったところ、その日のYouTubeのコメント欄に「私祈ります!」というコメントがたくさん来たそうです。
崔さんは「祈られて何が変わるんだ・・・」と思ってしまったそうですが、なんと、その日の夜、息子さんの酸素飽和度が93まで上がっていたのです。
さらに「私、毎日祈ります」とコメント下さる方もいて、そこから息子さんは手術までずっと90代をキープしたそうです。
そして、息子さんが小学校に上がる年齢になった時、もしかしたら今年は入学するのは無理かも、もし入学できても酸素ボンベをチューブでつないで通学することになるかも、という状態でした。
すると、やはり、コメント欄で「応援してるから!」「絶対大丈夫!」「私が祈るから!」と視聴者さんが言って下さり、結果、酸素ボンベもチューブもなしで、ランドセルを背負って通学することができているそうです。
そして、崔さんは「祈ることには意味がある」ということ、そして「感謝」を体感されたそうです。頭で理解するのではなく、体感です。そのときに「感謝は体で感じるものだったんだ」と思い、師匠が言っていたことがわかったそうです。
このお話しをされている崔さんからは本当に感謝の念というか、波動が伝わってきて、私も思わずうるっとしました。
祈りのエピソード
このお話しを聞いて思い出したエピソードがあります。
ある女性が大きな交通事故にあってしまい、自分の意識が体から出てしまいました。上空から道路を眺めていると、自分の2~3台?後ろの車の女性が自分の無事を願って祈ってくれているのが見えました。その祈りは光となって自分に届いていたそうです。
以前、本で読んだエピソードなのですが、本の題名はわからなくなってしまいました。海外の著者の翻訳本だったことだけおぼえています。
記憶が曖昧なので違っているかもしれませんが、後日、交通事故にあった女性は、この祈ってくれた女性に会ってお礼を言ったとかなんとか後日談があったような・・・。
この辺りを正確に書きたかったので家じゅうの本を探したのですが、とうとうどの本か見つかりませんでした。
祈りのちから
普段、祈りのエネルギーは私達には見えません。交通事故にあった女性は体から抜け出た状態だったためそれが見えたのでしょう。
ですが、目には見えなくても、祈りのエネルギーはこんなふうにちからを持っているのです。
祈りとは単なる気休め行為ではなく、本当にちからを持っているものだと再認識できた崔燎平さんのお話しと本のエピソードでした。
